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リトル (USS Little, DD-803) は、アメリカ海軍の駆逐艦。フレッチャー級駆逐艦の一隻。艦名はジョージ・リトル大佐に因む。その名を持つ艦としては2隻目。 ==艦歴== リトルは1943年9月13日にワシントン州シアトルのトッド・パシフィック造船所で起工した。1944年5月22日にラッセル・F・オハラ夫人によって命名、進水し、1944年8月19日に艦長マディソン・ホール・ジュニア中佐の指揮下就役した。 西海岸沖での訓練後、リトルは1944年11月11日にシアトルを出航し、真珠湾への船団護衛任務に就く。11月23日に真珠湾に到着、その後は砲術訓練および演習に参加した。1945年1月22日、エニウェトク環礁へ向かう戦車揚陸艦のグループと共に出航し、硫黄島侵攻のリハーサルを行う。サイパンでの最終準備の後、2月15日にリトルは硫黄島に向けて出航した。 2月19日、硫黄島への艦砲射撃が開始する。リトルは24日まで地上部隊支援の砲撃を行い、その後サイパンへ向かう。3月4日に再び硫黄島へ戻り、砲撃および護衛、レーダーピケット任務に従事した。3月14日にサイパンに帰還し、沖縄侵攻の準備に入る。 リトルは3月27日に沖縄に向けて出航、上陸部隊の支援艦隊に配属される。4月1日と2日に支援砲撃を行った後、リトルは輸送艦の護衛および戦車揚陸艦の援護に従事した。4月19日、レーダーピケット任務を割り当てられ24日まで同任務を行うが、激しい特攻攻撃にもかかわらず無傷で切り抜ける。 5月3日、リトルおよびアーロン・ワード (''USS Aaron Ward, DM-34'') は再びレーダーピケット任務に就く。18:13、18機から24機の敵機が雲の下から攻撃してきた。アーロン・ワードは18:41に最初の被弾を受ける。間もなくリトルも左舷に被弾する。4分以内にもう3機の特攻機がリトルを攻撃し、竜骨を損傷、船体中央部が破壊された。リトルは19:55に沈没した。 リトルは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リトル (DD-803)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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